ネコ虐待事件の反応について思ったこと

事件そのものはまず置いといて

ネットで事件の記事やらコメントやらツイートやらみてたら、いろんな反応があるなと思いました。で、避難している人たちの反応見て幾つか納得できないところがあったの

で、それについて書きます。

  1. いずれ人にも手を出す。
  2. 同じ人間とは思えない。こんなことをするやつは人間じゃない。頭がおかしい。など
  3. 死刑にしろ。私刑にしょう。など

 

1.について

DHMOじゃありませんが、殺人とネコ虐待の間に関係性があると示せるとは思えません。ネコ虐待はしても、殺人はしない層は、殺人にエスカレートする層より厚いはずです。そして、猫だからどうという話に拘り過ぎています。もっと虫とか小動物を虐待する所から議論するならわかりますが。

 

2.について

どうして犯罪者をすぐ人間じゃないって判定したがるのか、と。目障りだからって同種じゃないと言いだすのは、理性の欠片もない思考のように思えます。人間を自称したいなら、どれほど認めがたく感じていても、まず同種であると認めるべきではないでしょうか。

 

3.について

そう思うなら議員になるか活動家になるか、ともかく軽はずみで言っていい内容じゃないと思うのです。私には猫を虐待した人間より、人間を貶す人間のほうがよっぽど悪く見えます。

あと、私刑について、たとえ、自分がそうするという内容でなくても、そういう目にあってほしという内容も、同罪に思えます。ネコを虐めて楽しむのと、虐待犯を虐めて楽しむのと何が違うんでしょう。

 

結論として、猫の権利云々いう前に、虐待犯とはいえ、一人の人間であるわけですから、それをよってたかって虐める様は、とても醜く映りました。

人で居たいなら、この事件に心痛めるなら、まず理性的であってほしいと思いました。

 

ネコの殺処分、地域猫などについてはまた別の日記でまとめたいと思います。

 

トーンポリシングってのがあるそうな

「冷静に」なんてなりません ってのを読みました。んで思ったこと書こうかと。

 

トーンポリシングってのはTone Polisingだそうで、話し方警察のことらしい。

ある人が何かを主張するとき、感情的になり過ぎてて聞く耳持てないよ、って反応すること。論旨とは別のところで攻撃する、話題逸らしみたいなことらしい。

 

人間と感情は不可分で、議論の出発点だから、感情が混じるのは仕方ないかもしれないけど、あくまで感情は抑えるべきだとは思う。感情を完璧にコントロールできるとも思えないけど、その努力を常に心がけなきゃいけない。

そのうで、話題逸らしとして使うなら、私もトーンポリシング、ダメだと思うなあ。

ただ、話し方警察っていう人たち自身も”話し方警察”警察になりそう。

蓮舫さんとか稲田さんとかについて

蓮舫さんとか稲田さんについて

蓮舫さんの二重国籍問題で思ったのは、いまさら二重国籍問題を解消しても信用は回復しないんじゃないか、ということです。一番大事なのは、説明が二転三転するところじゃないかと。スキャンダルを出さない、出ても迅速に消火できる、そういう政治力がないのが、私が好きになれない理由です。

稲田さんは、批判を集中させるスケープゴートというかダメコン装置というか、そういうのじゃないかと思えてくるくらい辞めないのが不思議です。そうでないなら、政治家に向いてなさそうに見えるのでやめさせてあげる方がいいのでは。

ブログ始めてみました。

Tatadaといいます。名前は適当に決めたので、適当に漢字で多々田とかにしときます。

日々思ったことを残すのに長文が保存できるところが欲しくて、ブログ始めてみようかと思ったのですが。

なんかどれ選べばいいのか、よくわからんけど、はてな登録してたしこれでいいかと思い選びました。